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個の適応度を下げ、他の適応度を上げる行動をとることを利他主義であるという。このような行動の例は、動物界広範囲に渡り見受けられる。働き蜂のような社会性昆虫は繁殖能力を持ち備えておらず、代わりに巣内に子孫を繁栄させる女王蜂を養っている。ミーアキャットの場合、それらが危険に晒されるにも関わらず、集団の一員を見張り役に置くことで、侵入者について群れの残りに警告できるようにしている。オオカミや野犬は、狩りに来なかった残りのメンバーにも肉を分け与える。表面上は利他的であるようにも受け取れるこれらの行動であるが、実はそう単純ではないのかもしれない。
利他的行動がなぜ存在するのかについては、多くの議論がなされてきた。これらの行動が、種全体の進化上、好都合なのであろうか?それは、利他的な個体が自身の遺伝子を後世に受け継ぐための手助けをしているのであろうか?利他的な行動を説明する説の一つを、遺伝子学の自然選択の視点から考えることができる。1976年に出版された『利己的な遺伝子』の本書内で、科学者リチャード・ドーキンスは、一見利他的に見える数多くの行動を、遺伝子そのものの観点から説明しようと試みた。人間の感覚で、遺伝子を自分本意である、と呼ぶのは大層馬鹿げているように思えるが、ある個体の犠牲が、遺伝により同一の遺伝子を共有する関係の近い別の個体(共通の祖先を持つ近縁種など)に利益をもたらすならば、それは自分本位であるように映ってもしょうがないのかもしれない。実際、哺乳類の親は、子のためにこのような犠牲を払う。コウテイペンギンは、子供に与える食料を持ち帰るために、過酷な条件下で何マイルも移動する。 利己的な遺伝子説は長年にわたって論争の的となってきたが、現在でも関連分野の科学者の間で議論されている説なのである。
親子間で共有される遺伝に比べて低い遺伝的同一性を持つ、そこまで関係の近くない個体同士であっても、表面上は利他的行動により利益を得ている。ハチ、スズメバチ、アリ、シロアリなどの社会的昆虫の活動が良い例である。これらの昆虫社会において繁殖能力を持たない労働者が女王の世話をするのは、彼らが女王と密接な関係にあるからであり、女王が子孫を残すことで、間接的にではあるが労働者の遺伝子をその子孫に受け継いでいることになるからである。このように、不妊性を持つ労働者にとって、自身の遺伝子を直接受け継ぐ機会を持たずして、代わりに女王を維持することは、適応度の面で有益なのである。この現象は、動物間で見られる表面的な利他的行動の多くを説明することができる。しかし、実際これらの行動は、行為者が直接的(自身の子孫を介して)または間接的(近縁種を通じ得ることのできる、包括適応度を介して)に自身の適応度を上げているため、本来の意味での利他主義とは同等に定義されないかもしれない。
血縁関係のない個体もまた、お互いに対し利他的に行動することがあり、これは「利己的な遺伝子」の説明に反しているようにも思われる。このタイプの行動は多くのサルの種の間でも観察することができる。その例としては、あるサルが血縁関係のないサルに自分の背中を見せ、そのサルに自分の毛皮から寄生虫を取り除いてもらうというものである。一定時間が経つと役割が逆転し、毛繕いをしてもらった側の猿がしてくれた側の猿の毛繕いをするようになる。このように、行動に互恵性があるのである。どちらも協力しなかった場合や、一方が協力してもう一方が協力しなかった場合よりも適応度が上がり、両者ともそのやりとりから恩恵を受けることができる。これは、行為者の「与える」行動は、それが将来的にその行動を「受ける」側になるという期待に基づいているため、この行動もまた必ずしも利他的主義であるわけではなく、この場合、互恵的利他主義という言葉が使用される。互恵的利他主義は、個人が同じ社会集団の中で生活しているなどの、個人同士が繰り返し出会うことを前提としており、詐欺師(決して「お返し」をしない者)は罰せられる仕組みになっている。
数学分野における古典的なゲーム理論を改変した進化ゲーム理論によって、いわゆる「利他的行動」の多くは、実は全く利他的ではないことが明らかになっている。人間の行動に基づく「純粋な」利他主義の定義は、自分自身に直接的な利益をもたらすことなく、他の人に利益をもたらす行動のことを意味する。以前に説明した行動のほとんどがこの定義を満たしていないようであり、ゲーム理論家はそれらの中に「利己的」な要素を見つけているようである。そもそも、「利己的」や「利他的」という用語は人間の行動を説明するものであり、本能的な動物の行動には直接適用できない可能性があるため、動物の行動を議論する際にはそのような用語は一切削除すべきだと主張する者もいる。しかし、明らかなのは、ある者の遺伝子や遺伝子の一部を受け継ぐ可能性を高める遺伝的行動は自然選択によって好まれており、それらの行動が適応度における優位性をもたらす限り、将来の世代にも受け継がれていくということである。
スペインのヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化は、カリブ海から始まり、1600年には中央アメリカと南アメリカにまで拡大した。何千ものスペイン人が富と地位を求め、アメリカ大陸に押し寄せた。これらのスペイン人冒険家の中で最も有名なのは、イタリア人でありながらスペインの君主のためにアメリカを探検した、最重要人物クリストファー・コロンブスである。
スペインの探検の歴史は、スペインそのものの歴史から始まる。15世紀の間、スペインはライバルであるポルトガルに対して優位に立つことを望んでいた。1469年にアラゴン王フェルナンドとカスティーリャ王女イザベラが結婚したことで、カトリックのスペインが統一され、世界的な権力を競うための国づくりが始まった。700年代以降、スペインの多くはイスラム教の支配下にあり、王フェルナンド2世と王妃イザベラ1世は、スペイン最後のイスラム教の拠点であるグラナダでイスラム教徒を打ち負かすことを決意した。1492年、彼らは何世紀にもわたって続いていたキリスト教によるスペイン領土の征服を完了した。これは、スペインをヨーロッパの大国にするための新たな一歩となり、フェルナンド2世とイザベラ1世はさらに遠くを見据える準備をしていた。
彼らの目標は、カトリックを拡大し、ポルトガルを抑え商業的に優位に立つことであった。これらの目的のために、フェルナンド2世とイザベラ1世は大西洋の大規模な探検を支援した。スペインで最も有名な探検家クリストファー・コロンブスは、実はイタリア出身であった。コロンブスは、他の航海者の旅をもとにした計算により、インドへの西回りの航路を描き、それを利用してヨーロッパの貿易を拡大し、キリスト教を広めることができると信じていた。 1485年から、コロンブスはポルトガル、イギリス、スペインの君主に働きかけ、この西回りの航路を探索するための船と資金の提供を求めて回った。最初は、フェルナンド2世とイザベラ1世を含む、彼が請願したすべての国の王が、コロンブスの願いを拒絶していた。彼らの航海の専門家達はみな、コロンブスの大西洋の幅の推定値はあまりにも低すぎるとのことで意見が一致していたのである。しかし、3年間にもわたる嘆願と、最も重要な要因であるイスラム教徒との戦争が終結した後、フェルナンド2世とイザベラ1世は1492年にコロンブスの遠征に3隻の船を提供し、彼に経済的支援をすることに同意した。スペインの君主たちは、ポルトガルの航海者が既にアフリカの南端に到達し、インド洋を航海していることを知っていた。彼らは、ポルトガル人が間もなくアジアに到達することを理解しており、極東への到達を目指したこの競争の中で、行動をとることを決めた。
実は、この時点でコロンブスは誤った考えを持っていた。それにより、彼は西に航海するときに遭遇するものを誤って予想していた。彼の予想していた地球の大きさは実際の大きさと比べはるかに小さく、南北アメリカ大陸の存在を知らなかったことから、アジアに上陸するとばかり思っていた。しかし、1492年の10月12日、彼は現在のフロリダ州の南にあるバハマの島に上陸した。その後、彼はイスパニョーラ(現在のドミニカ共和国とハイチ)と名付けた島へと航海した。東インド諸島に上陸したと信じていたコロンブスは、そこで見つけたタイノ族の先住民を「インディオ」と呼び、新世界の先住民のことを「インディアン」と呼ぶようになった。コロンブスがスペインに戻ると、スペイン王室はコロンブスに大洋海の提督の称号を与え、彼を、彼自身が発見した土地の総督に任命した。コロンブスのアジア上陸を否定する証拠が次々と出てきたが、彼は最後の死ぬ間際まで、自分が旅した土地はアジア大陸の一部であると主張した。
他にも多くのヨーロッパ人が、西を航海することで富を獲得することを夢見て、コロンブスの足跡をたどっていった。コロンブスとはまた別のイタリア人、アメリゴ・ヴェスプッチはポルトガル王室のために航海し、1499年から1502年の間に南米の海岸線を探検した。コロンブスとは異なり、彼は、アメリカ大陸がアジアの一部ではなく、ヨーロッパ人にとって未知の土地であることに気が付いた。ヴェスプッチの航海記が広く出版されたことで、ヨーロッパ人の間では新世界への憶測と強い関心が高まった。ドイツの地図製作者、マルティン・ヴァルトゼミュラーもヴェスプッチの報告書を読んだ内の一人である。探検家のファーストネームを新大陸のラベルとして使用した彼は、1507年に新世界の地図に「アメリカ」と付け、以降その名前が定着した。
1.C
流星とは、惑星間から地球の大気中に入ってくる小さな固体粒子のことを指す。それら個体粒子は、秒速数キロメートルで移動するため、空気との摩擦により高度80~130キロメートルで気化する。その結果、数秒で光が消えてしまうのである。「流れ星」の名前の由来は、夜に、その光の蒸気が、空を高速で移動している星のように見えることから付けられたものである。隕石の中には、地表に落下するものもある。隕石が測定され、その組成が詳しく分析されるようになってから初めて、科学者達は隕石の重大さを知ることとなった。隕石には、実験室で直接研究することのできる、最も古く、最も原始的な物質が含まれているのである。
最も原始的な隕石の平均年齢は、現在入手可能な放射性半減期の一番正確な値を用いて計算され、その歳は45億年と分かっている。この値は、太陽系の年齢、つまり最初の固体が凝縮し、より大きな個体を形成し始めてからの時間を表している。
隕石は、原始的な隕石と分化した隕石とに分類されることが多い。分化した隕石は、より大きな母天体の断片であり、それらが分裂する以前に溶融してしまうため、より密度の高い物質(金属等)が中心部に沈み込んでいる。地球上に存在する多くの岩石と同様に、それらは密度に応じて異なる物質が分類される工程を踏み、ある程度の化学的な分別を受ける。分化された隕石には、母天体の金属芯で出来た鉄隕石、金属芯と石質マントルの間にある領域が原点であると考えられる石鉄隕石、そして分化された母天体のマントルや地殻物質で構成された無球粒隕石がある。
太陽系の最古の歴史を知るためには、原始的な隕石が不可欠である。原始的な隕石とは、形成されてから高熱や高圧力を一度も経験していない組織からできた隕石のことを指す。我々は、小惑星から反射した太陽光のスペクトルを見て、原始的な隕石の組成と比較することができる。そのような分析により、それら原始的な隕石の母天体のほとんどが小惑星であるということが分かる。小惑星は太陽系が形成された時に残された破片だと考えられているため、それら小惑星が、原始的な隕石の母天体であることには納得がいく。
地球に到達する隕石の大部分は原始的な石である。その多くは、一部に金属の粒が混ざった、淡い色をした灰色のケイ酸塩で構成されている。これら、地球に降り注いだ隕石の中で最も我々にとって有益であったものは、メキシコに落下したアエンデ隕石、オーストラリアに落下したマーチソン隕石、そして2000年にカナダのタギッシュ湖の冬の雪渓に落下したタギッシュ・レイク隕石である。
マーチソン隕石は、それがもたらした様々な有機化学物質で知られている。炭素質隕石に含まれる炭素化合物のほとんどは、正確な分析が困難な複雑なタール状の物質である。また、マーチソン隕石には16種類のアミノ酸(タンパク質の構成要素)が含まれているが、そのうち11種類は地球上では珍しいものである。これらの有機分子について最も注目すべきことは、右利きと左利きの分子対称性を持つ等数のアミノ酸が含まれていることである。アミノ酸はどちらの種類の対称性を持つこともあるが、地球上に存在する全ての生命は、タンパク質の構成に左利きのもののみを用いて進化してきた。2種類のアミノ酸が存在するという事実は、隕石に含まれているアミノ酸が地球外起源であることを明確に示している。
地球環境の影響を受けずに形成されたマーチソン隕石に含まれている、自然界に存在するアミノ酸やその他の複雑な有機分子は、太陽系が形成されていた頃に多くの興味深い化学が起こっていたことを強調している。 もしそうであるとすると、地球上の生命の分子構成要素の一部は、原始的な隕石や彗星によって最初に運ばれてきたのかもしれない。我々の惑星は、歴史の初期の頃にはどんな有機物にとっても生き抜くには気温が高過ぎる環境下であった可能性があるため、これは実に興味深い見解である。そして、地球の表面が冷えた後、小惑星や彗星の破片が地球に降り注いだことで、有機物の供給が再開されたのかもしれない。